■ 一 はじめに
全国の自治体で制定されようとしている男女共同参画社会基本法(以下「基本法」)をはるかに超えた条例を良識的な条例へと軌道修正するには、男女共同参画の本質を理解する必要があります。
基本法の構成を把握し、一つ一つの条文に書かれた内容をしっかりと吟味することが重要です。
法令の解釈は、専門家でも解釈が異なる場合も多く、制度や法令用語などの知識がないと難しい面もありますが、常識に照らして妥当かという基準が的を射ていることが意外に多いのです。
そのときに、気をつけなくてはならないのが、条文の述語です。
法令の述語は、法令の内容を確定し、これによって国民に権利を与え、その権利を制限し、若しくは義務を課し、または行政機関等に対し権能を与� ��、義務を課すことになるので、述語がどのように使い分けてあるかよく確認することが大事です。
述語に慣れてくると、各地で制定されようとしている条例案などを読んだときに、住民に対しどのような義務を課し、権利を制限しているのか、見えてきます。
基本法の全体構成を簡単に説明し、前文と第一章総則を中心にしてポイントとなるところを解説しましょう。
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■ 二 基本法の構成
法令というものは、それが規律しようとしている分野や事柄について、その内容を論理的な体系のもとに書き進めています。
つまり、総論から各論へ、原則から例外へ、あるいは事柄の順を追って、というように体系的に構成されています。
基本法は、まず前文を置き、次に、第一章、第二章、第三章の三つの章があり、最後は附則という構成になっています。
前文と附則を除いた本体部分を本則といますが、性質的には、総則規定、実体的規定、雑則規定及び罰則に大別できます。
基本法では、第一章「総則」が総則規定、第二章「男女共同参画社会の形成の促進に関する基本的施策」が実体的規定、第三章「男女共同参画会議」が実体的規定と雑則規定で成り立っており、罰則は置 かれていません。
総則規定は、目的規定または趣旨規定から始まり、特に実体的規定の前提となる通則や原則及び用語上の約束などを定めるものです。
基本法では、第一章「総則」において、法制定の目的規定、男女共同参画社会の形成についての定義規定や理念規定、国・地方公共団体・国民の責務規定などが配置されています。
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■ 三 〈前文〉
(前文)
我が国においては、日本国憲法に個人の尊重と法の下の平等がうたわれ、男女平等の実現に向けた様々な取組が、国際社会における取組とも連動しつつ、着実に進められてきたが、なお一層の努力が必要とされている。
一方、少子高齢化の進展、国内経済活動の成熟化等我が国の社会経済情勢の急速な変化に対応していく上で、男女が、互いにその人権を尊重しつつ責任も分かち合い、性別にかかわりなく、その個性と能力を十分に発揮することができる男女共同参画社会の実現は、緊要な課題となっている。
このような状況にかんがみ、男女共同参画社会の実現を二十一世紀の我が国社会を決定する最重要課題と位置付け、社会のあらゆる分野において、男女共同参画社会の形成の促進に関する施策の推進を図っていく ことが重要である。
ここに、男女共同参画社会の形成についての基本理念を明らかにしてその方向を示し、将来に向かって国、地方公共団体及び国民の男女共同参画社会の形成に関する取組を総合的かつ計画的に推進するため、この法律を制定する。
基本法には、前文が置かれていますが、前文は、具体的な法規を定めたものではなく、制定の背景、決意、ねらい、趣旨、目的等を明らかにするのが通例です。
その意味で、前文の内容から直接法的効果が生ずるものではありませんが、各条項の解釈の基準を示す効力を有します。
しかし、基本法は、目的及び基本理念の条文を設けているので、わざわざ前文を置く必要はありません。
事実、政府提出案の段階では、前文は置かれていませんでした。
基本� ��は、参議院の先議で審議がなされましたが、その審議過程において前文が付け加えられたのです。
前文をあえて置いた最大の目的は、ジェンダーフリーの思想を潜り込ませることにあったといっても過言ではありません。
基本法では、ジェンダーという概念がまだ一般的ではない、カタカナ用語をそのまま用いることは適切でないなどの理由をつけて、ジェンダーを意味する「社会的・文化的に形成された性別」という表現ではなく、「性別」という用語にとどめられています。
これに対し、「男女共同参画ビジョン」の中の「男女共同参画社会の基本的な考え方」では「女性と男性が、社会的・文化的に形成された性別(ジェンダー)に縛られず、各人の個性に基づいて共同参画する社会の実現を目指すものである」� �述べ、男女共同参画社会がジェンダーフリーを目指すものであることを明確にしています。
ビジョンの「社会的・文化的に形成された性別(ジェンダー)に縛られず」が前文の「性別にかかわりなく」の部分に対応しています。
基本法において「性別」の用語を条文で用いている以上、男女の区別をあらわす生物学的な性別との解釈に限定されてしまいます。
このため、地方公共団体の条例を策定する場合において、「社会的・文化的に形成された性別にかかわりなく」などの表現を前文の中に盛り込み、ジェンダーフリーの思想を明確にしようとする例が多いので、十分に注意する必要があります。
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■ 四 〈目的規定(第一条)〉
(目的)
第一条 この法律は、男女の人権が尊重され、かつ、社会経済情勢の変化に対応できる豊か で活力ある社会を実現することの緊要性にかんがみ、男女共同参画社会の形成に関し、基 本理念を定め、並びに国、地方公共団体及び国民の責務を明らかにするとともに、男女共 同参画社会の形成の促進に関する施策の基本となる事項を定めることにより、男女共同参 画社会の形成を総合的かつ計画的に推進することを目的とする。
目的規定は、法律の制定目的を明確にし、法律の解釈・運用にあたっての基準・指針となるものであり、基本法の目的が「男女共同参画社会の形成」の推進にあることを定めています。
背景にある基本的考え方などを説明しようとするときに用いられるのが、「……にかんがみ」という用語で す。
技術の世界で起こっている
基本法の制定にあたっては、人権の尊重と社会経済情勢の変化への対応という二つの理由があることを示しています。
日本国憲法の基本原理の一つが人権の尊重です。
しかし、「男女の人権の尊重」といっても、他人の人権を犠牲にして成り立つものではありません。
このため、憲法一三条において「すべて国民は、個人として尊重される。
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定められており、人権の尊重に関しては、社会全体の利益である公共の福祉との調和を図ることが最も重要な問題です。
なお、「人権の尊重」ではなく「男� �の人権の尊重」となっていることについては、理念規定の第三条で解説します。
社会経済情勢の変化への対応については、男女共同参画社会の形成との関係が必ずしも明確ではなく、人権の尊重と並列的に同等扱いする必要性はないと考えられます。
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■ 五 〈定義規定(第二条)〉
(定義)
第二条 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
一 男女共同参画社会の形成 男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって 社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会を 形成することをいう。
二 積極的改善措置 前号に規定する機会に係る男女間の格差を改善するため必要な範囲内において、男女のいずれか一方に対し、当該機会を積極的に提供することをいう。
定義規定は、その法律において何回も繰り返して用いられる重要かつ基礎的な用語の意味が一義的に確定していない場合において、意味内容を明確に� �るために置かれる規定です。
基本法の目的である「男女共同参画社会の形成」についての定義を行っていますが、「男女共同参画」についての定義ではないことに注意が必要です。
「自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会を形成すること」の部分をよく見て下さい。
前段の部分は、活動に参画する機会の確保ですが、「もって男女が均等に…享受することができ」とは、「結果平等」を意味します。
「男女平等」を通り越して「男女の性差の区別」そのものを無くしてしまえば必然的に男女の垣根が無くなる、つまり、ジェンダーフリー思想で言うところ� �男女の性差の区別が無くなってしまった「結果平等の社会」と同じことになってしまうのです。
そして、ジェンダーフリー思想にとっての「男女共同参画」とは、そのようなジェンダーフリー社会を実現するための能動的な手段であり、「男女の性差の区別を無くすためジェンダーを形成している社会・文化を解消する」ことを意図しているのです。
「積極的改善措置」とは、「自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会に係る男女間の格差を改善するため必要な範囲内において、男女のいずれか一方に対し、当該機会を積極的に提供すること」と定義されており、「アファーマティブ・アクション」(優先的処遇措置、積極的差別是正措置、格差是正のための暫定的な特別措置などと訳されている� ��を意味します。
これは、過去における差別により現在不利益を被っている集団(女性や人種的少数派)に対して、政治や就学・就労などへの参画の機会を確保するため、割当枠や目標値を設定するなど一定の範囲で特別な機会提供を行って結果の平等を実現することを目的としています。
アメリカでは「アファーマティブ・アクション」、ヨーロッパ諸国や日本では「ポジティブ・アクション」と呼ばれることが普通です。
しかし、逆差別を生む恐れが非常に強いことなどから、「女子差別撤廃条約」でも暫定的な措置とされています。
基本法では、暫定措置であることを明記していないことが最大の問題点といえます。
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■ 六 〈理念規定(第三条―第七条)〉
基本法の基本理念は、第三条から第七条までに五項目が定められています。
(一)男女の人権の尊重
第三条 男女共同参画社会の形成は、男女の個人としての尊厳が重んぜられること、男女 が性別による差別的取扱いを受けないこと、男女が個人として能力を発揮する機会が確 保されることその他の男女の人権が尊重されることを旨として、行われなければならない。
基本理念の最初の項目が「男女の人権の尊重」ですが、わざわざ「男女の」という表現を用いているところに注意して下さい。
「男女の人権」とは何を意味するのでしょうか
「男女の人権」の前に「その他の」とあります。
「その他」と「その他の」とは、「の」があるかないかの違いですが、前後に語句がある場合、法令上は特殊な使い分けがなされています。
「その他」は、前後の語句を別個独立のものとして並列的に結びつける場合に用いられますが、「その他の」は、前に置かれた語句が後ろに置かれた語句の「例示」となっている場合に用いられます。
つまり、「男女の個人としての尊厳が重んぜられること」「男女が性別による差別的取扱いを受けないこと」「男女が個人として能力を発揮する機会が確保されること」の三つの事項が「男女の人権」の例示なのですが、例示を見ても釈然としません。
憲法が保障する人権は、男であるか女であるかの前に「人間」を前提� ��します。
憲法一三条前段の「すべて国民は、個人として尊重される」を前提にして、一四条一項で「法の下の平等」という平等原則を掲げ、「性別による差別の禁止」を明示しています。
それをあえて「男女の人権」としているのは、平等原則ではなく、「男女の平等権」という新たな権利概念を創設することにあります。
つまり、ジェンダーフリーの思想に基づく新たな権利を容易に設定するための「受け皿」の準備なのです。
その新たな権利の代表が「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康・権利)」と呼ばれるものです
苦情の手紙を書くにはどのように
リプロダクティブ・ヘルスとは、安全な妊娠・出産、子供が健康に育つこと、また、これらに関連して思春期や更年期における健康上の問題など、生涯を通じての性と生殖に関する健康の問題のことですが、リプロダクティブ・ライツは、子供を産むか産まないか、いつ産むかなどを自分だけの考えで決定する権利、いわゆる「性の自己決定権」のことです。
「性の自己決定権」は、胎児の権利や堕胎の両性の同意など現行法からも問題が多く、十分な議論が必要な権利概念です。
しかし、全国の自治体の条例では、「性の自己決定権」のような新たな権利がほとんど論議もされないまま定義規定や理念規定の中に盛り込まれようとしています。
また、「例示」の「性別による差別的取扱い」において「直接又は間接を問わず」などの表現を付け加えています。
理念規定は、ジェンダーフリーの思想を盛り込むための受け皿であることに十分注意する必要があります。
(二)社会における制度又は慣行についての配慮
第四条 男女共同参画社会の形成に当たっては、社会における制度又は慣行が、性別に よる固定的な役割分担等を反映して、男女の社会における活動の選択に対して中立でな い影響を及ぼすことにより、男女共同参画社会の形成を阻害する要因となるおそれがあ ることにかんがみ、社会における制度又は慣行が男女の社会における活動の選択に対し て及ぼす影響をできる限り中立なものとするように配慮されなければならない。
� �第四条は、ジェンダーフリーの思想を法律の条文に翻訳しているため、普通に条文の解釈を行っても意味不明ですが、ジェンダーフリーの概念で補完して読めばよくわかります。
「社会における制度又は慣行が、性別による固定的な役割分担等を反映して」とは、「社会的・文化的に形成された性別(ジェンダー)」を意味します。
「男女の社会における活動の選択に対して中立でない影響」とは、「男女間の不平等」のことです。
すなわち、「社会的・文化的に形成された性別による男女間の不平等」を意味しています。
このことをジェンダーフリー思想では「ジェンダーバイアス」と言っています。
「バイアス」とは、「偏り」のことです。
つまり、「ジェンダーバイアス」は、男女共同参画社会の 形成を阻害するものですから、偏りを産み出している社会制度や慣行を変えていくようにする、という意味です。
「性別による固定的な役割分担等」という用語ですが、法令の条文は、正確を期すことが求められることから、略称の場合を除けば、「等」という用語は、通常は、その範囲を明確に定義した上でないと用いられません。
ジェンダーフリーの思想では「役割分担」だけではなく、役割分担の「意識」がジェンダーを形成している大きな要因ととらえ、性別による役割分担の意識を変えていくことも目指しています。
しかし、「意識」について条文で規制すると、人間の「内心」領域に干渉し思想良心の自由を侵害することになります。
もちろん、ジェンダーフリーの概念で補完しなければ、これらの条 文を通常に解釈しても「意識」が含まれているとの解釈にはなりませんが、条例で実際に「意識を変えていく」などと書けば大きな問題になります。
いまのところ自治体の条例において「役割分担意識を中立なものにする(なくす)」などと書いた例はないようですが、「役割分担意識」とすること自体問題です。
ジェンダーフリー思想では、「男らしさ・女らしさ」を「固定的な役割分担意識」の象徴ととらえ、「らしさ」否定に躍起となっています。
「らしさ」は、千人いれば千種類の「らしさ」についての考えなり思いがあります。
「固定的」どころか千差万別の「意識」ということができます。
「男らしさ・女らしさ」を否定するほうが、よほど「固定的」で、さらには、人間の「内心」に対する干渉� �いうことができます。
「思想良心」や「表現」の自由などの人権を侵害するような規定が、条例の中にないか十分に注意して下さい。
(三)政策等の立案及び決定への共同参画
第五条 男女共同参画社会の形成は、男女が、社会の対等な構成員として、国若しくは地 方公共団体における政策又は民間の団体における方針の立案及び決定に共同して参画する機 会が確保されることを旨として、行われなければならない。
「国若しくは地方公共団体における政策又は民間の団体における方針の立案及び決定に共同して参画する機会が確保されること」とは、どういうことを意味しているのでしょうか。
「共同して参画する」というところに注意して下さい。
「共同(して)参画(する)」とは、 第二条の定義で説明しましたように、単に共同して参画することではなく、ジェンダーを形成している社会・文化を解消していくということです。
「ジェンダーフリー」は政策の究極の目標ですが、その究極の目標であるジェンダーフリー社会を実現するために、国、地方公共団体などで実施される具体的な政策手段や制度的仕組みをすべて「ジェンダーの解消」という視点で変革していくということです。
これらのことを、ジェンダーフリー思想では「ジェンダーの主流化」と呼んでいます。
国や地方公共団体の審議会などで、委員の男女の割り当てを同数とするクォーター制(「積極的改善措置」の手法の一つ)などが最も具体的で実施されやすい例です。
(四)家庭生活における活動と他の活動の両立
第六条 男女共同参画社会の形成は、家族を構成する男女が、相互の協力と社会の支援の 下に、子の養育、家族の介護その他の家庭生活における活動について家族の一員として の役割を円滑に果たし、かつ、当該活動以外の活動を行うことができるようにすること を旨として、行われなければならない。
第六条は、国の法律が、家庭生活にまで踏み込んで規定しています。
当該活動以外の活動とは、家庭生活以外の活動ということですが、注意してほしいのは、その二つの活動を「かつ」で結んでいるところです。
「かつ」は、併合的接続詞と呼ばれるもので、接続される語が互いに密接不可分で、両方の語を一体として用いることによりその意味が完全に表せるような場合に多く用いられます。
つまり、� �つの活動の「両立」のみを規定しており、二つの活動の「役割分担」を否定しているのです。
私はノースカロライナ州の州税のチェックについては誰を呼び出すのですか?
第四条の社会における制度又は慣行についての配慮とも密接に関連しています。
つまり、家庭生活での役割分担が、ジェンダーフリー思想では「固定的な役割分担等」に当たるのです。
これは、ジェンダーフリー思想としての「個人としての能力の発揮」で補完して考えるとよくわかります。
個人として能力を発揮して「両立」するとは、個人が二つの活動を「足して二で割ったもの」をそれぞれが個別に行うことであって、二つの活動を男女が役割で分担することを否定しているのです。
役割分担を否定するということは、例えば、一方の活動の「専業」である「専業主婦」を否定することな� ��を意味しているのです。
もちろん、ジェンダーフリーの思想で補完しなければ、これらの条文は、単に家庭生活と他の活動の両立としか解釈できません。
それにしても、足して二で割ることしか頭にないほうがよほど「固定的」というものではないでしょうか。
(五)国際的協調
第七条 男女共同参画社会の形成の促進が国際社会における取組と密接な関係を有してい ることにかんがみ、男女共同参画社会の形成は、国際的協調の下に行われなければなら ない。
男女平等については、女子差別撤廃条約(正式名称は「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」)等が引き合いに出されますが、条約の中身についても十分に注意する必要があります。
例えば、第二条の「積極的改� �措置」についても、女子差別撤廃条約を根拠としていますが、暫定措置であることを明記していません。
すなわち、ジェンダーフリー思想にとって都合のよい部分だけを抜き出していることに十分注意する必要があります。
参考のため、女子差別撤廃条約の四条一項を次に示します。
「四条一項 締約国が男女の事実上の平等を促進することを目的とする暫定的な特別措置をとることはこの条約に定義する差別と解してはならない。
ただし、その結果としていかなる意味においても不平等な又は別個の基準を維持し続けることとなってはならず、これらの措置は、機会及び待遇の平等が達成されたときには廃止されなければならない。」
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■ 七 〈責務規定(第八条―第十条)〉
第八条から第十条において、それぞれ、国、地方公共団体、国民の責務を定めています。
(国の責務)
第八条 国は、第三条から前条までに定める男女共同参画社会の形成についての基本理念 (以下「基本理念」という。)にのっとり、男女共同参画社会の形成の促進に関する施 策(積極的改善措置を含む。以下同じ。)を総合的に策定し、及び実施する責務を有する。
(地方公共団体の責務)
第九条 地方公共団体は、基本理念にのっとり、男女共同参画社会の形成の促進に関し、 国の施策に準じた施策及びその他のその地方公共団体の区域の特性に応じた施策を策定 し、及び実施する責務を有する。
(国民の責務)
第十条 国民は、職域、学校、地域、家庭その他の社会のあらゆる分野において、基本理 念にのっとり、男女共同参画社会の形成に寄与するように努めなければならない。
これらの規定は、第三条から第七条の基本理念を受けて、国、地方公共団体、国民が果たすべき役割について宣言的に規定したものであり、直接的に個別具体的な義務が生じるものではなく、違反に対して罰則を科すものでもありません。
各主体に対する個別具体的な義務は、各責務規定の趣旨を踏まえた個別法の規定により生じることとなるものです。
責務規定は、法令の目的実現のための心構えを要請するものといえます。
特に、国民の責務については、国、地方公共団体のように「責務を有する」ではなく、「努めなければならない� ��として努力規定であることを明確にしています。
「基本理念にのっとり」とは、常に基本理念を念頭に置き、その趣旨に従って行動するよう努めることを意味します
第九条で自治体の責務が定められていますが、同条に基づく地方公共団体の具体的施策として、第一四条で、男女共同参画基本計画の策定が定められています。
都道府県の場合は、策定することが義務になっていますが、市町村の場合は努力規定にとどまっています。
また第一五条で「男女共同参画社会の形成に影響を及ぼすと認められる施策を策定し、及び実施するに当たっては、男女共同参画社会の形成に配慮しなければならない」と定められています。
基本法は条例への委任規定がありませんので、地方公共団体の上乗せ・横だし条例な どの根拠となっているのが第九条の規定です。
しかし、条例は、国の最高法規である憲法に違反することはできません。
憲法一三条後段は、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする」と定めていますが、「公共の福祉」を理由として、条例によって、思想良心の自由、表現の自由、法の下の平等などの基本的人権をどのように制限し得るかという「基本的人権の限界論」の問題になります。
「男女共同参画」は、人権の問題と密接に関連しており、特に精神的自由権の領域は「二重の基準論」というもので、合憲性について立法者側により厳しい基準となっていますので、慎重かつ十分な検討が必要と言えます。
さら に、憲法に違反してはならないということだけでなく、条例は法律・政令・省令等の国の法令に違反することもできません。
国の法令と矛盾抵触する条例は、その限度で効力を失いますから、その意味において条例制定権の限界が存在します。
自治体の条例では、「事業者の責務」の規定を置き、さらには事業者に対し男女共同参画の推進状況などを報告させる義務を課したり、権利を制限するようなことを定める例が見られますが、基本法では、「事業者の責務」について規定していないことに注意して下さい。
「事業者」という明らかに異なった対象について条例で規定を置くということは、「横出し」の規制ということができますが、判例(徳島市公安条例事件判決‥注釈@)などから見て、基本法の「国民の責務」 と同様の努力規定を設けるような規制は問題ないと考えられます。
しかし、「男女共同参画社会の形成」という同一の目的において、横出しの部分について何らかの義務を課したり、権利を制限するような上乗せの規制を行うことは、判例(高知市普通河川管理条例事件判決‥注釈A)では、大きな問題があります。
基本法では、事業者そのものを規定していないことから、事業者については「国民の責務」以上の規制を施さない趣旨と解すべきと思われます。
そうしますと、実体的規定の中で、「地方公共団体の区域の特性に応じた施策」の規定を根拠として、事業者に対して義務を課したり、権利を制限する規定は、法令違反の恐れが大きいということになります
全国の自治体で、上乗せ・横出しの条例がつぎつぎと制定されています。
その際、上乗せ・横出しの規制対象と規制内容について十分に注意する必要があります。
■■
■ 八 むすび
男女共同参画社会基本法は、意味が曖昧で、とにかく分かりにくい法律ですが、それはフェミニズムのジェンダーフリー思想を条文の中に盛り込もうとしたからに外なりません。
基本法は、政府提出法案ですから、内閣法制局という法令審査の機関を通過するときに、厳しい審査があります。
男女共同参画審議会は、フェミニストに占拠され、「男女共同参画ビジョン」などは、まさにジェンダーフリー思想一色の答申となっています。
このビジョンを作った審議会が基本法についても審議会の答申案を作っているのですから、基本法も内閣法制局の審査がなければ、ジェンダーフリー色がもっと濃厚に現れていたであろうと推察できます。
やはり、国の法律だけに厳しいチェックがかかり、 その結果、基本法では、かろうじてジェンダーフリーというフェミニズム思想を封印していると言えます。
しかし、その封印を解こうとしているのが、全国の自治体で制定されようとしている条例です。
基本法以外に、ビジョンやフェミニズムのパンフレット、解説本など、法律ではないものを基にして、フェミニストに占拠された自治体の審議会が、フェミニズムのジェンダーフリー思想を条例の条文に盛込んでいます。
つまり、フェミニストが基本法の封印を解き、議会になり代わって、ジェンダーフリー条例をつくっているのです。
条例は、議会で議決されれば、住民に義務を課し、また住民の権利を制限することができますので、その自治体の範囲では、法律と同じ効力があります。
人権を尊重し、� �女間の不平等をなくしていくことは、重要なことですし、機会の均等などは積極的に推進しなければならないことは言うまでもありません。
しかし、人権の名を借りて人権を侵害し、思想統制を行い、表現の自由を規制するような条例の制定は何としても防がねばなりません。
住民も議会も、住民や事業者に義務を課し、権利を制限するような条例が制定されようとしていることに気づいていないことが、大きな問題なのです。
この章では、基本法の裏側に隠れているジェンダーフリー思想を浮かび上がらせるために、ビジョンなどに盛り込まれたジェンダー概念で補完することによって、いわば基本法の条文を拡張解釈的に説明することで、基本法に込められたフェミニストの意図を明らかにするように試みました。
これが、全国の自治体の条例を良識的な条例とするための手助けとなり、ひいては全国の自治体で男女共同参画についての良識的な条例が数多く作られるようになることを期待しています。
それによってこそ、「男女共同参画」は、真の意味での「男女平等」の実現に向けて大きく前進すると考えるからです。
【注釈@】 最高裁判所は、徳島市公安条例事件判決(昭和五十年九月十日、大法廷判決)において、次のように述べている。
「条例が国の法令に違反するかどうかは、両者の対象事項と規定文言を対比するのみでなく、それぞれの趣旨、目的、内容及び効果を比較し、両者の間に矛盾抵触があるかどうかによってこれを決しなければならない。
例えば、
(1)ある事項について国の法令中にこれを規律する明文の規定がない場合でも、当該法令全体全体からみて、右規定の欠如が特に当該事項についていかなる規制をも施すことなく放置すべきものとする趣旨であると解されるときは、これについて規律を設ける条例の規定は国の法令に違反することとなりうるし、
(2)逆に、特定事項についてこれを規律する国の法令と条例とが併存する場合でも、
@後者が前者とは別の目的に基づく規律を意図するものであり、その適用によって前者の規定の意図する目的と効果をなんら阻害することがないときや、
A両者が同一の目的にでたものであっても、国の法令が必ずしもその規定によって全国的に一律に同一内容の規制を施す趣旨ではなく、それぞれの普通地方公共団体に おいて、その地方の実情に応じて、別段の規制を施すことを容認する趣旨であると解されるときは、国の法令と条例の間にはなんらの矛盾抵触はなく、条例が国の法令に違反する問題は生じ得ないのである。」
【注釈A】 高知市普通河川管理条例事件判決(昭和五十三年十二月二十一日、第一小法廷判決)の判旨は次のとおりである。
「河川法は、普通河川については、適用河川又は準用河川に対する管理以上に強力な河川管理は施さない趣旨であると解されるから、普通地方公共団体が条例をもって普通河川の管理に関する定めをするについても、河川法が適用河川について定めるところ以上に強力な河川管理の定めをすることは、同法に違反し許されない。…(中略)…普通地方公共団体が条例により、普通河川につき河� ��管理者以外の者が設置した施設を、当該施設を管理する者の同意の有無にかかわらず河川管理権に服せしめることは同法に違反し許されない。」
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