著作権 死後70年でも 短すぎ 永続こそが あるべき姿
最近の総理等の発言を受け、著作権の存続期間についての議論が再燃しているようです。現状の死後50年でも長すぎ、まして70年なんて、という論調がネット界隈では主流のようですが、それは変な話だ、とwebmasterは思います。これまで何度か断片的に書いてきた話ですが、改めてまとめてみます。
たとえばAさんが会社を興して子孫に株式を遺したとします。その子孫の株式が、死後一定期間経過後に‐それが50年後であれ70年後であれ‐勝手に消滅してしまう、なんてことはあり得ません。ところが、Bさんが著作物を創作して子孫に著作権を遺したのであればどうでしょう? そのあり得ないことが起きてしまうのです。
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「児孫のために美田を買わず」であるべきで、いかなる財産権も死後一定期間後に消滅すべきなのだから著作権も、というのであれば話は別でしょう。他方、著作権のみが他の財産権よりも不利に扱われるべしというのでは、著作権者が憤慨するのも道理です。よって表題のとおり、著作権も永続させるべきだ、というのがwebmasterの考えの根底にあります。
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古においては著作権なんてものは存在せず、それが徐々に整備されてきて現状に至っているわけです。だからこそ著作権なんてないのが自然(創作振興のため人為的に著作権を創設したのだ)、という考え方を暗黙の前提に置いている人もいらっしゃるでしょう。しかしそれを言い出せば、たとえば所有権だって人為的に創設された権利に他なりません(この意味で存在自体が「自然」と言える財産権は、占有権だけでしょう)。他の財産権と比べ著作権が法的に不利に扱われるべき理屈はなく、単に歴史が新しくなじみが薄いだけとも思えなくもありません。
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こうしたwebmasterの意見に対しては、反論がいくらでも出てくるのは当然です。その表れはさまざまでしょうけれど、もっとも広く強く共有されるであろう理屈は、それでは世の中の創作行為が害され、社会全体にとって損になる、というものでしょう。一部の遺族の利益のために社会全体が不利益を甘受しなければならないのはおかしい、と。
もちろんそのとおりです。しかしながら、一部の利益のために全体が不利益を甘受しなければならない状態を解消すべし、というのは著作権特有の問題ではないはずです。他の財産権では、このような問題に直面した際、どのような解決が図られているのでしょうか?
端的には補償で、代表例が公共事業に関する土地収用です。公の用に供する設備のために私有財産である土地が必要であるとき、全体の不利益を回避するため土地の所有権を消滅させる、なんて乱暴な帰結にはなっておらず、土地を収用する代わりに補償することになっています。また、先祖代々受け継がれた家宝が貴重な文化財だったとしても、その公開・研究が公の利益だからといって強制的に召し上げる制度などありません。いずれにせよ、対価を払ってようやく公の用に供されるのです。
したがって、二次利用の活性化を通じた創作振興という大義名分は、著作権を著作者の死後一定期間で対価なく消滅させることの根拠としては、妥当しないとwebmasterは考えます(結局のところ、最大の根拠は経緯に過ぎないのではないかというのが管見です)。制度の実装にいろいろと難しい点があるのはwebmasterとてよくわかっていますが(たとえば過去のエントリのコメント欄における議論など)、具体論を云々する前に、長くすることがおかしいというのではなく、長くて当然なのだ(政策的に必要ならばどのように短くできるのかを工夫すべき)、という発想の転換が必要なのではないでしょうか。
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